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【歴史】伊達家発祥の地 こおり

今を遡ること800年以上前、奥州合戦で功のあった
常陸入道念西が現在の桑折の土地を賜り伊達を名乗った
のが、伊達家の始まりです。

この初代・朝宗から数えて17代目が有名な伊達政宗。
政宗の祖父にあたる15代晴宗が将軍足利義輝の命で
米沢城へ移ったのが1548年ですので、なんと360年
という長い年月、伊達家が桑折を拠点に勢力を拡大して
いったことになります。

■西山城跡・西館石塁

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標高193mの高館山から西に高館、中館、西館と続く、
東西1.3km、南北1kmほどの複郭式の平山城で、
東側の南北に駿河館・常陸館をともなった巨大な城郭を
なしています。
山上に曲輪・空掘・石塁を残す城跡は、戦国大名居城の
姿をよく残し、平成2年に国史跡に指定されました。

■観音寺

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西山城南麓のこの寺は、宝治元年(1247年)
伊達氏4代政依が亡父義広の菩薩のために建立
したと伝えられています。
県指定重文の木造聖観音坐像をはじめとした
文化財を有し、伊達五ケ寺中唯一当地にに残る
寺です。

■伊達朝宗の墓

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伊達朝宗は、常陸国(茨城県下館市)に住し、常陸入道
念西と称して源頼朝の奥州攻めに従いました。
文治5年(1189年)、朝宗とその子息らは佐藤基治
の軍を破り、その功により信夫・伊達の地を賜り、伊達
の姓に改め、のち72歳で亡くなりました。
伊達政宗は、朝宗から数え17代目に当たります。

■桑折寺山門

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天文17年(1548年)、桑折西山城が破却されて
伊達晴宗が米沢城に移る際、城内にあった門を
桑折寺が拝領して移築したものと伝えられています。
切妻の唐破風を正面にみせた向い唐門の形式で、
室町期の優れた建築物です。

■万正寺の大カヤ

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みごとな枝を広げるカヤの巨木。
文治5年(1189年)伊達家の開祖・初代朝宗が
この地を拝領し、伊達家を興した記念に植樹された 
と伝えられています。


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