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【歴史】日本最古の自転車 三元車

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鈴木三元は、文化11年谷地村(現福島県桑折町
大字谷地字観音堂)に生まれました。
三元は、資性一徹にして幼少の頃より鋭敏明瞭
なる頭脳の持ち主であり、進取の気性に富み、
博愛で、郷土愛に燃えていたといいます。

三元は、明治初頭に既に交通機関が国民生活、
文化発展に重要かつ不可欠であると痛感し、
自走車の考製作に取り組み始めました。
明治5年制作に着手、時に三元は58歳。
多大の私財を投じ、寝食も忘れ、鋭意これに
心血を注ぎ創意工夫制作に没頭邁進する姿は、
心なき人々に狂人呼ばわりされたともいいます。

明治9年、努力は報われ、遂に自走車「大河」を
完成させました。これは、足踏み前輪二輪式の
三輪車でした。当時、この発明工夫は全く全人
未踏の快挙であり、人々は奇人と呼びました。

明治11年、2人乗り自走車の開発製作に着手。
明治12年、高辻侍従が東北巡視の際、御閲覧の
栄を賜り、これが新聞に記載され、全国の戸長・
役場に広告流布されました。

明治14年4月、東京において第2回内国勧業
博覧会が開催され、三元はこれに出品すべく孫の
房次郎、抱大工、鍛冶職の4人で出発。3日間を
要し上野に到着、出品しました。4月25日、
皇后陛下(昭憲皇太后)会場に御成り、御前で
三元、孫が運転操作御尊覧に供したが、陛下は、
御熱心に御覧。さらに御言葉さえ賜る栄に浴し
ました。また、多数の観客何人も、この奇器に
感嘆しました。

三元は、私欲、売名をその目的にする多くの巷の
発明家とは異なり、当時の交通機関の諸弊害を除き、
冗費を省き、国家・国民の便に供したいという
高遠な理想に燃えて、当時の自転車の理想を超えた
機構の開発、交通機関の改革に向っていきました。

その後、三元は谷地村村長となり、卓越した手腕を
発揮し、地域住民から感謝されるなど名望家でも
ありました。

桑折町は、日本最古の「三元自転車」を造り上げた
鈴木三元氏誕生の地であり、次代を担う子供たちに
彼の夢とロマンを語り継いで行くために、
「こおりサイクルフェスティバル」のイベントが
現在でも年1回開催されています。

■復元された「三元自転車」

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